いま世界中の哲学者が考えていること


哲学書遍歴

どっかの本屋で見かけて,図書館で予約してやっと届いたので,読みました.


内容と感想は,後ほど.
ニュー・アカデミズムが流行った時期に大学生だったので,





てな感じの本を読んできました.大学生当時は(今より)細かい性格だったので,実は全部読了できなくて,割りと最近図書館で通読しました.昔に比べると少々分からないところがあっても,”まぁそのうち分かるかもねぇ”みたいな感じにしておくと,読書量も増えて,却って良いような気がします.
もう,10年早く気がつけば良かった.

とはいえ,この本は強烈でした.読みながら”さっぱり分からない”/”何が書いてあるんだろう?”/”こんなに分からないって俺は馬鹿?”/”ここまで分からないとSMの世界だなぁ”とか意味不明なことばかり考えて,読んでいました.
ということで,内容は全く説明できません.

以下は本題の”いま世界中の哲学者が考えていること”についてです.

技術(IT.バイオ)

技術の進化は人間を不幸にするか?っていう議論です.最近AIは再流行しているので,またこういう議論が出て来るが,あんまり心配しなくて良いんじゃない?って気がします.
火・文字・印刷・蒸気機関・ガソリンエンジン・原子力・コンピュータ・インターネット,これまでも色んな技術が発明されていますが,完全に人間の職業を奪うことはなかったというのが,一つと.職業が無くなると困るんだっけ?という命題を考える仕事が残るはずです.その仕事が終わったときには仕事をしていないと生きていけないという価値観自体がなくなっているのでは?と思ったりします.
バイオ技術の進展で,人間が死ななくなるかも?というのも,まぁそうなるかもしれませんが,私は皆さんが長生きするとしても,150歳位で自殺するような気がする.今の3倍生きていると,流石に”生きる”ことに飽きるような気がする.
不老不死が達成されることはそれはそれで結構なことで,永遠に”生きる”ことに飽きることがない方は,無限の時間を満喫して良い人生を送って頂ければよろしいかと.僕はきっと無理です.

資本主義

何が公正で豊かになる経済制度なのか?これもまぁ,ありがちな議論ですね.
80年~90年代に共産主義が崩壊(北朝鮮が残っているのかなぁ?)して,資本主義が勝利したぜ的に思っていましたが,冷戦時代の映画とかを見ていると,別に共産主義だけがダークなヒールだった訳でもなく,資本主義というか自由主義社会と言われているような社会でも結構ダークな世界があったようです.
ただ,AIとか技術革新が進んで人間が仕事をしなくても良い世界になると,労働の対価にお金をもらうという資本主義の根幹は結構ダメージを受けるような気がしていて,だからといって共産主義でもなさ気なきがするので,その時代にフィットした経済制度が必要になるのかも知れません.でも,きっと経済制度は”発明”すると共産主義のような人工物になっちゃって,人間生き方とは上手くフィットできなくて,だれかが考えた(発明した)制度に変わるんではなく,自然にみなさんが生きていくのに適した制度に収斂していくんだろうなぁ.と無根拠に予測したりします.

宗教

宗教はなくなるか?
必要なければなくなれば良いですが,あるなら,もっと他の宗教に寛容な宗教だけに淘汰されて欲しいです.
僕の理想形はひとり一宗教で,他人の宗教には関与しない世界が素敵です.

環境

地球は滅びるか?人類は滅びるか?
天文学的な時間スケールで考えると,どちらもYesになるので,あまり議論の余地がないですが,地球温暖化というトレンドが本当なのか?とかは確かに疑うというか客観視する必要があるんでしょうね.
クジラが絶滅するというのが,西洋の方々のヒューマニズムのバイアスがかかった思い込みだと,日本人の多くの人は思っているような気がしますが,正直事実は分からないです.この広い海に何匹クジラが居るのか数えるのは無理だし,その頭数が適切なのかどうやって判断するのか,さっぱり分かりません.
最近夏が暑いなぁ,とか,ゲリラ豪雨って本当に最近の出来事だっけ?とか,これも実感では暑いなぁとか雨が降ると酷いなぁとか感想ベースでは思いますが,これが地球環境の崩壊の序章なのか,それとも単なる誤差の範囲なのか,現時点で50年ちょっとしか生きてないし,150年以上生きるつもりもないので,数万年オーダーのトレンドを指し示しているのかどうかは分かりません.
PM2.5もテレビで騒ぐほど困りません.鹿児島に住んでいたこともありますが,桜島の火山灰の方が3桁位上回って不便だし,健康に悪そうです.

哲学って

読んでいて,あぁ哲学って境界領域の学問なのかなぁ?と思いました.(悪くいうとお荷物を背負い込むとか,ゴミ箱(笑))
色々考え込んでしまったり,仕事をしていたり,学問をしていると,”これってなんでなんだっけ?”とか”これって本当?”とか突き詰めてしまうようことがあります(少なくとも私は).
そういうことに白黒つけようとするのが哲学なのかなぁと思いました.
でも,この本を読みながら,”?”(疑問符)を付けて物を考えるという姿勢は正しいような気がしますが,結局答えがあるんだっけ?というとどうもなさ気な気がします.逆にあるとすると,少し気持ち悪い.
例えば”宗教はとはホゲホゲである”とか”技術の限界はかくあるべし”とか答えがあっても,きっと誰も納得しないような気がしますし,結局人間の営為にしか過ぎないので,時間軸で変動するような気がします.
ということで,哲学っていう学問は,きっと何かの答え求める学問ではなくて,考える行動そのもののことを指すのだろうなぁと思った次第です[1]

私の哲学というか信条

あまり一貫性のある人格・性格ではないので,”哲学”とか”信条”とか書くと,やってることと違うじゃんみたいなことは多々あるような気がしますが,まぁ思っていることとしては,

  • A)多様性は善
  • B)二項対立(善悪・真偽)な思考は悪

A)は,利害関係者だと,あまりこんな悠長なことは言っていられないことが多いですが,基本的には,この考え方を基本にしたいなぁと思っています.
一卵性双生児でも人間は違う行動をしたり,考え方を持ったりします.
LGBTな人や,宗教観・仕事観・人生観の範囲では,”多様であることを是とするだけでなく,善だ”と考えるようにしています.
とはいえ,こんな風に言っちゃうと,ヒトラーとかスターリンとか,所謂シリアルキラーな人を認めるのか?みたいな話にはなるんですが,こういう類の人間の行動の結果に対して”善”だと考えているわけではなくて,彼らも彼らなりの人格や考え方はあるのだろうし,それを理解しようとする姿勢を持っても良いとは思います.(共感して同じ行動にならないように気をつけつつ・・)
差別主義な人は,この考え方とは真逆な方向性なので,善なる多様性の範疇外になります.ってな感じなので,”多様性は善”という言い方自体がパラドキシカルな要素を含んでいますが,無矛盾な論理系をつくることにこだわるより,まるっとした考え方として,こう考えているということにしておいて下さい.
B)は,まぁ,そうですね.数学とか自然科学の世界では,命題が真か偽かが問題・課題になることが多いし,実際の生活のなかでもそういう局面は結構多いです.
専門家ではないですが,多値論理的な考え方に共感しています.学生時代にソフトウェアを作ったりした時に,ブール代数的な世界観とは違うものふれた気になった(勘違い?)せいかもしれません.
なにか命題が与えられると,それが正しいか間違っているか決めたくなる気持ちもわかりますが,あんまりその考え方が通用することって少なくて,真でも偽でもない”複数の何か”とか,0.9位真に近いとか,0.1位真とか,そういう状態の方が多いような気がしていて,あまり物事を決めつけないようにするという,哲学というよりは処世術なのかも知れません.

グダグタ書いちゃいました.

コメントを残す